2021年11月1日月曜日

スイングアームに関する考察

ある日、YouTubeでSRのスイングアームの整備動画を見ていた。
整備したスイングアームを車体に取り付け、スイングアームを上下に動かしている。
この時、私のSRとは明らかに動きのスムーズさが違ったのである。
なぜだろう。グリスが悪いためにそのグリスが抵抗になってしまっているのだろうか。
原因は分からなかった。
もちろん、ピボットシャフトは簡単に抜く事ができる状態で問題は無い。
走行にも支障はない。
 
SRを自身で整備される方は一度は見た事があるだろう某SRメンテ日記。
私がノーマルSRのままの方が良いと考えるのはこのメンテ日記のおかげ。
そこに興味深い記述を見つけた。

ピボットシャフトのナットを締めすぎるとスイングアームの動きが悪くなる。
規定トルクで締めてもうまくいかない。
整備者の経験と勘によるガタが無く、スムーズに動くぐらいの締め付けにする。

といった内容。



ピボットシャフトの規定締め付けトルクは104 N・m 。
これを試しに100 N・mで締めてみた。

ガタもなく、スムーズにスイングアームが動く。
たった4 N・mの違いでこれほど変わるとは思わなかった。
わかっている人にとってはそんな事かと思われるかもしれないが、サービスマニュアルの規定トルクが全てだと思っていたために、目を見張る。

車体と乗り手に取って最適な締め付けトルクにする事で更なる一体感を得られるのではと楽しくなった。

しばらく、締め付けトルクを変えつつ走行時の体感データを取っていきたい。

(※整備は自己責任※)


















2021年10月25日月曜日

日本一周から10年





撮影画像 動画 12,000ファイル (58.6GB)
徒歩による登頂 1回
御守等入手 6つ
フルバンク停車(いずれも荷物を積み込む時)2回
乗船回数 14回
交通違反回数 0回
ブレーキパッド交換 2回
タイヤ交換 1回
ブレーキフルード交換 2回
エンジンオイル交換 6回
オイルフィルター交換 2回

車体損傷箇所
スロットルグリップ
マフラープロテクター
ナンバープレートサポート
チェーンカバー
シフトペダル


SR400に乗り、日本一周の旅から10年。当時、ニコニコ動画に日本一周をしながら動画をアップしていくという事をしていた。

旅はほとんどが野宿で食事は炭水化物ばかりの極端な偏食。

貧乏旅だった。

旅の1日の過ごし方は、日の出と共に出発し、日中に目当ての場所を巡り、夕方頃から野宿場所の目星をつけ、夜中にこっそりテントを張り寝る。この繰り返し。

このような生活の中で写真や動画を撮影し、持参したノートパソコンで動画を編集し、wifiがある場所でニコニコ動画に動画をアップするという事をしていたために、動画はただのスライドショーばかりになってしまった。

せっかくニコニコ動画に動画をアップしていたが、使用楽曲の権利の問題などで非公開にした。
58.6GBもある旅の記録はHDDに眠っているだけとなった。

日常で誰かにわざわざ見せることも無い。ただのスライドショーの再編集動画のアップも厳しい。
そこでブログに記録を残す事にした。

私の周辺には日本一周について興味がある人はいない。
しかし、広いネットの世界には日本一周に興味がある人もいるだろう。

どこかの誰かにとって価値のあるブログになれば幸いである。

日本一周だけでなく、SR400に関わる記事も書いていこうと思う。

2011年4月5日火曜日

日本一周を始めるまで5(装備準備編)

 SR400の購入と同時に旅の装備準備も進めていた。
日本一周の装備の選定基準は以下の通り。

・低価格
・高耐久
・SRのレトロクラシックな見た目に合う

テカテカ防水生地に赤や黄色でラ○アンドロード!とかコ○ネ!とかバッグに書かれているのは嫌なのだ。

そこで装備は主に軍用品を採用する事にした。

軍用品とは当時の最新技術を使用し、戦場という過酷な環境下においても機能を発揮し、長期に渡って壊れない事が求められる。
各軍用品メーカーが社運を賭け開発し、軍の採用試験を受け合格した選りすぐりの物が軍の制式採用の軍用品となる。

日本一周の装備の選定基準としても軍用品はちょうど良かった。
30年〜50年ぐらい前に使われていたような軍の放出品を扱う店で調達する。
コスプレをするわけではないので、国籍はこだわっていない。




チェコ軍 ブレッドバッグ
ブルガリア軍 ウールブランケット
ソ連軍 兵用サスペンダー
米軍 ターニケット
米軍 防水バッグ
ドイツ連邦軍 シュラフ
ドイツ連邦軍 ダッフルバッグ
ドイツ連邦軍 コッフェル付き水筒 
東ドイツ軍 マップケース
東ドイツ軍 乗馬靴
東ドイツ軍 兵用ズボン
西ドイツ軍 シャベル
ドイツ国防軍 ブレッドバッグ
フランス軍 ウールロングコート
スウェーデン軍 マット

軍用で用意出来ないその他は民生品で調達した。


車載動画を投稿しながら日本一周ということでビデオカメラも準備した。
当時はまだGoProなどのアクションカメラは一般的ではなく、みんな工夫してヘルメットやハンドルになんとかビデオカメラを固定していた。
当時は割と主流だった気がするザクティというカメラをヘルメットに固定する方法を採用した。



不細工だが、このようにカメラをヘルメットの横につけられるバンドを自作した。
少しでも風切り音が消えるようにマイク部分にリストバンドを付けたりなど、色々工夫はしたが、ちゃんと撮りたいアングルで撮れているか確認できない代物であった。
この後GoProが流行り出すわけだが、GoProじゃなかった事が悔やまれる。




バイクへの革トランクの積み方について

旅といったら革トランクだ!という思いだけで積んだ。
見た目は良いが、革トランクはおすすめできない。この革トランクのおかげでどれほど旅の難易度が跳ね上がった事か・・・。
常に雨を気にして、雨が少しでも降りそうな気配がしたら荷物を下ろして、革トランクにビニール袋を被せなくてはならない。傷もついてすぐボロボロになるので取り扱いも慎重になるし、大きいだけではなく荷物を入れると重くて、それをシートの上に固定しなければならない。キャリアも無しによくこんな積載をしたと思う。
走っている最中に荷崩れして危なかった事が何回かあった。
それでも革トランクは魅力がある。革トランクを積むなら必ずキャリアはあった方がいい。

装備は大体揃ってきた。
次回はSRで初めてのキャンプツーリング。琵琶湖一周ツーリングだ。
日本一周の前の予行演習となる。

(続く)

2011年4月3日日曜日

日本一周を始めるまで4(SR400購入編)

日本一周の出発時期が決まり、旅費のためアルバイトを始める。
アルバイトへは借り物のエリミネーターで通勤していた。

SR400の購入。
日本一周をするため、全国に直営店があり同じサービスを受けられるという事で、某赤男爵で購入する事にした。
実際にものすごく助かった。例えばタイヤ交換。通常、タイヤ交換のためにタイヤを注文しても到着まで数日かかる。用も無いのに数日も野宿して待つのは辛い。だが、タイヤを注文した店舗と実際にタイヤ交換をする店舗を変える事ができる。数日後に到着する予定の場所でタイヤ交換を待機時間無しで出来る。
タイヤに限らずこういった利用が日本全国で出来る点は日本一周に向いている。
車両は他店に比べ、少々割高で値引きも不可能ではある。

SRは新車で買う事にした。初心者がいきなり中古車で日本一周はリスクがあると思ったからだ。気筒とはマフラーの事だと思っていた知識レベルである。YZF-R1もCBR1000もマフラーは一本だから単気筒なのだと思っていたくらいだ。キャブレターとインジェクションの違いもよく分からない。とにかく、旅の最中に壊れては困るのだ。新車価格も他車に比べてそれほど高くは無い。(2010年当時 某赤男爵 新車乗り出し45万円)



SRを実際に見てみるため、中古のSRを在庫している店舗へ行く。
そこで実際に初めてSRの現車を見る。
思っていたよりも小さい。とても400のバイクに見えなかった。
教習車のCB400SFと借り物エリミネーターしか知らないから尚更だ。
跨ってみるとタンク細! そして、軽い!
こんなにタンクが細くて教習所で教わったニーグリップができるのか不安であった。
しかし、SRの見た目はとても魅力がある。CB400SFとエリミネーターには無い、レトロでクラシックな雰囲気があった。
SRの購入を決めた。

次の休日。
SRが納車されたという事で、電車で店舗へと向かう。


ピカピカだーーーーー!
クロームメッキの美しい輝き、空冷フィンの美しい造形、素晴らしい!

SR400 
3HTR 
2010年モデル

SRは2010年モデルから排気ガス規制に対応するためにインジェクションとなった。
インジェクション初期型モデルを意図せず購入。




店舗で手続きを終えて、ついに乗車。
キックスタートは予習してきたが、エンジンがかからない。
足の感覚で圧縮上死点に合わせるなど難しいやり方など置いておいて、デコンプレバーを引きながらインジケーターが白くなるまでキックペダルを動かせばいいやり方を教わる。

インジケーターを合わせて、キックスタート!
ものすごい振動と共にエンジンがかかった!
この振動は尋常ではない!ミラーなんて震えてよく見えないぞ!
車体が振動し過ぎて壊れないか心配なほど。

そして、ギアを入れクラッチを繋ぐ。
あれ? なんか地面を蹴る力弱くない?
教習車CB400SFとエリミネーターの感覚と比べると違和感があった。
トルクが細いのである。

違和感を感じながら店から公道に出るため、ウインカーを点けようとするも早速クラクションを鳴らす。エリミネーターで公道は慣れてきたとは言え、やはり緊張する。
一旦落ち着いてウインカーを点け、公道へと発進!

遅せえええええええ!!!
それがファーストインプレッションだった。
え?! なんで?! エリミネーターより加速しない!
違和感は確信へと変わる。SRは遅いのだ。
知識は全く無く、教習車のCB400SFと排気量は同じなのだから、同じぐらいの加速性能だと思っていたのだ。
それでも、速く走らなくてもいい車両特性は初心者にはちょうどいい。
段々とそれが心地よくなってきた。急がなくてもいいのだ。

最初に乗ったバイクがSRで良かった。
もし、最初から高性能のバイクに乗っていたらSRには乗っていないだろう。
私は後にGSX-R750とSRの2台持ちになったので、他車種からSRに乗り換えてすぐに飽きたという話も理解はできる。
SRはハマる人にはハマるバイクなのだ。
ゆっくりトコトコ。

(続く)








2011年4月2日土曜日

日本一周を始めるまで3(公道デビュー編)

この記事は長いので飛ばしても日本一周の記事は読めるので飛ばしてもらっても構わない。

要約すると、会社を自主退職させられる。借り物エリミネーターで初の公道デビュー。旅費のためアルバイトを始める。


会社から自宅待機命令を出され、自主退職に追い込まれている中でバイクに興味を持った。
合宿免許に申し込み、普通自動二輪免許を取得する。

初めて教習車に乗ったあたりから日本一周をしたいという気持ちが大きくなってきた。
インターネットのおかげでバイクに興味を持ったのであるが、その時にバイクや自転車で日本一周をした人たちの情報を見聞きしていた。旅をしながら動画をアップしたり、ブログに写真を載せたりと、何とも楽しそうに見えた。野宿をしながらも何とか工夫しながら前に進む姿は当時の自分には輝かしく見えた。

それが初めて教習車に乗り、バイクの楽しさを知ると本当に日本一周をしたいと考えるようになる。
会社から自主退職に追い込まれている状況から復帰するには絶望的状況。
世の中はリーマンショックの傷も癒えぬまま震災が起き、ろくな職歴を作れなかった自分には転職は難しい。自分は無能なんだと投げやりな気持ちもあった。

そういう状況から日本一周を実行にまで移してしまった。
現実逃避だと非難されても仕方ない。当時の自分には唯一の希望であったのがバイクであった。
そこに後悔はない。

普通自動二輪免許を取得した後、すぐに親戚がバイクを貸してくれる事になった。
















KAWASAKI エリミネーター250V
公道で初めて乗ったのはアメリカンバイクだった。公道デビューは緊張で両腕に目いっぱい力を入れて筋肉痛になるほどだった。
それと同時にニコニコ動画で車載動画を投稿。
日本一周に行く事を隠し、ひたすら長距離ツーリングに行くための準備をするという内容で、キャンプ道具を用意したり、初キャンプツーリングの様子を動画にした。





















この辺りで会社を退職する事になった。退職を申し出た時の悔しさ、人事の嬉しそうな顔、今でも忘れられない。私に自主退職してほしい大人たちの圧力に屈したのである。何とか会社都合退職にならないか人事と論争を繰り広げたが、この辺り人事はプロである。退職に追い込んだなどという客観的証拠は何も残さない。会話は録音しておくべきだった…。証拠が無ければ労働基準監督署は何もできない。

無職で借り物のエリミネーターだけある状態になった。
SR400の購入、日本一周の旅費を少しでも稼ぐためにアルバイトを始める。
いつか詳しく触れるかもしれないが、現場作業の肉体労働のアルバイトである。
そこは、食い詰め者、前科者、ヤク中、アル中、ギャンブル狂、多重債務者、風俗狂い、元893などが集まるところだった。暴力が支配し、序列が何よりも優先されるのである。もれなく全員が喫煙者。私も食い詰め者としてその仲間入りとなった。
酒、タバコ、ギャンブルをやらない私は浮いた存在であった。


日本一周の出発時期については、夏は暑くて大変そうという理由だけで9月初旬とした。
最初にフェリーで北海道に行ってしまって、その後南下しながら秋の日本列島を楽しもうという計画。
この判断が後に大きな困難を招く事になるとは思っていなかったのである。

日本一周出発までの間の約4ヶ月をアルバイトに充てた。

(続く)

日本一周を始めるまで2(教習所編)

この記事は長いので飛ばしても日本一周の記事は読めるので飛ばしてもらっても構わない。
要約すると、自宅待機となったが合宿免許に参加。普通自動二輪の免許を取得する。


会社から自宅待機命令を出され、自主退職に追い込まれている中でバイクに興味を持った。
合宿免許に申し込んだ。

そこで起こったのが東日本大震災である。
自宅待機中で岐阜の実家に引きこもっている時に大きな揺れを感じた。
テレビからは続々と東日本の甚大な被害が伝えられる。
しかし、もう会社への復帰は絶望的状況の自分。
社会が混乱する中で自分だけが苦労する事なく、のうのうと暮らしているような感覚があった。
既に合宿免許には申し込んである。
今は自分がやれる事は他に無かった。

今まで家・学校・会社しか行動範囲が無かった。
この行動範囲の外側へ行く事は良い意味でも悪い意味でもストレスがかかる。
これをコンフォートゾーンと呼ぶらしい。
私にとっては初めて自らの意思でコンフォートゾーンの外側へ大きく出て行ったのだった。
















合宿免許であれば、1週間で普通自動二輪免許を取る事ができる。

そして、初教習。実際に間近で見る教習車CB400SF。
申し込み段階でMTとATがあったので、その時初めてバイクはMTがある事を知った。
オートバイと言うぐらいだから全てATだと思っていた。

バイクの引き起こし。思っていたよりもかなり重い事を知る。
こんな重い物を操作するなんて、何だかとんでもない事を始めてしまった気がした。
引き起こし方を教えてもらったら問題無くできた。

そして、ついに乗車。車と違って360度視界が広がる。
クラッチを繋ぐとタイヤが地面を蹴る感覚があり、重い車体が軽やかに動き出す!

こんなに楽しい乗り物があったのか!!

そこからは教習が本当に楽しくて仕方なかった。卒業検定まであっという間だった。
普通自動二輪免許を取得した。

(続く)

2011年3月31日木曜日

日本一周を始めるまで1(ブラック企業編)

この記事は長いので飛ばしても日本一周の記事は読めるので飛ばしてもらっても構わない。
要約すると新卒で入った会社に自主退職に追い込まれる中でバイクに興味を持つといった内容。
 

時は2008年、世の中をリーマンショックが襲った。
企業による内定が決まった新卒者の内定取り消し、内定辞退を強要などが問題となっていた。
休業となり、自宅待機となる者も少なくなかった。
その年、年越し派遣村といった生活困窮者が公園で年を越すといった事もあった。

そんな世の中で就職活動。世の中への絶望感と就職がなかなか決まらないという焦燥感があった。
20社ほど連続で不採用通知を貰い、自分は無能だと思い知った。

ある小企業に内定をもらった。この時10代である。初めて父親から祝福のメールを貰った。大変そうだけど、なんとかやっていくのだろうとこの頃は思っていた。


業種はIT。しかし、仕事は無かった。
会社は雇用調整助成金を使い、教育訓練を実施。
雇用調整助成金とは、経済上の理由によって事業活動を縮小せざるを得なくなった事業主に対し、労使間の協定の下、雇用維持のための対策を講じた場合に、かかった費用の一部を助成する制度。
給料の6割は国から助成される。

訓練としてシステム開発をロールプレイングする事となった。
要件定義から設計・開発・運用テストまでを全て行うといったもの。
会社の役員を顧客と見立てて、顧客が必要とするシステムを開発する。

同期の新卒新入社員5人で。

当然、何もわからないわけで。全てが手探りという状況。
役員の顧客は新人相手に現場同様と思われる厳しい要求をする。
そもそも要件定義とは何なのか、どのようにヒアリングすればいいのか、という事を素人5人が話し合い、そのうち険悪でギスギスした関係になっていった。

教育訓練は国の助成を受ける制度のため、時間が決まっていた。
しかし、週6日から7日、定時に一旦タイムカードを押してから終電の23時ごろまで毎日これを続けた。土日はタイムカードすら押さなかった。役員はやる気のある奴だけ時間外で作業しろと言っていた。つまり、これが出来ないのであればやる気が無いと見なされるわけである。

要件定義すら終わらず、土日返上で3ヶ月が過ぎようとしていた。
勤続1年の先輩2人、勤続3年の先輩1人、勤続5年の先輩1人が教育訓練に加わった。先輩ですら仕事がないのである。

「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」という書籍がある。

書籍の中の会社もIT企業で、登場人物に上原という人物がいる。
勤続3年の先輩がどう見ても上記書籍に登場する上原の特徴に合致する…。外見、言動も。もしかして、転職してこの会社に入ったのだろうか?と思うほどであった。

先輩を迎えて9人体制となり、要件定義も終わり、全員がギスギスしながらなんとか基本設計・詳細設計・プログラミングへと移る。しかし、問題は続出。その度にリスケ(納期を延ばす事をお願いする)を繰り返し、役員に詰めらる毎日で全員の精神はズタボロになっていた。

問題が起こる度に、なぜなぜ分析というものを行い、問題の原因を突き止め、役員に報告するのだ。
なぜなぜ分析とは、なぜを5回繰り返せば、問題の原因を突き止められるというもの。

本筋のシステム開発そっちのけで1ヶ月もなぜなぜ分析をしていた。
全員が全員を非難し合う。
「そもそも、なぜあなたはこの会社に入ったのか?あなたがいなければ問題は起きなかった。」なんて意見が平気で出てくる毎日である。
プログラムというものには開発者のコメントが書き込める。そうすることで、後にプログラムを見る人がわかりやすいようにできる。コメントはプログラムの機能自体には関係しない。そのコメントの書き込み方のルールも決めているが、なぜなぜ分析ではコメントのスペースが一字分少ない事でさえ非難の対象となった。


/ 2010年○月○日 氏名 プログラム変更 

/ 2010年○月○日氏名 プログラム変更
↑日付と氏名の間にスペースが無い!!!!


こんな事を土日返上で2年近くやっていた。一人、また一人と会社を辞めていく。
あくまで訓練なので職歴がついたわけではない。世の中はリーマンショック。せっかく学校に行かせてくれた親。私は恐ろしくて退職できずにいた。

2010年、忘年会。こんな会社でも忘年会だけはやるのだ。
しかし、酒の席で上原さん似の先輩が過労と極度のストレスで倒れる。
息していない!!!!
会社の役員はただ呆然と見ているだけ、なんと取引先の人が人工呼吸をするという事態。
1年先輩が救急車を呼ぶ。

上原さん似の先輩は生還した。

2011年、ある日人事がストレスチェックなるものを持って来た。
正直に書いたところ、私にはストレスがある事が人事に把握された。
ストレスチェックというのは罠である事を知らなかった。
その事を根拠に私にはやる気が無い、会社に協力的ではないと言われ、「他の仕事とか考えた事ある?」と遠回しに自主退職を促す。
私は自宅待機を言い渡された。やる気があるという事を証明するため、新しく勉強するプログラムの資格を自費で取ったりしてアピールするが、毎日電話で1時間ほど自主退職を促される。

もう辞めようと思った。

会社は解雇、内定取り消しなどを行うと国から助成してもらえなくなるので、結果として雇用調整助成金という制度を使って自主退職に追い込むといったやり方をしていたのだった。
国から6割人件費の出る教育訓練という名の追い出し部屋である。

そんな時、当時の唯一の楽しみであったニコニコ動画でバイク動画と出会うのである。
バイクで北海道に行く動画、かっこいいバイクMAD動画、キャンプツーリング動画。
なんとヘルメットにカメラを付けて、バイクを運転している!
まるでバイクの運転を自分が体感しているかのようだ。
バイクなんて少しも興味が無かったが、バイク動画からはバイクの楽しさを教えてもらった。

すぐにバイクに乗りたいと考えるようになった。
最初に興味を持ったのがBMW R75。













元々ミリタリー好きであったため、最初に思いついた。
しかし、博物館に置いてあるようなバイクであるので現実的ではない。

次に似たようなバイクを探し、カワサキWシリーズとSR400。




























SR400には現代っぽさが無く、一番レトロでクラシックな見た目に見えた。
キックスタートしかない所も何だか古めかしくて良い。W400にはキックが無い。キックのあるW650は大型免許が必要となる。

SR400に決めた!

給料の6割をもらいながら、自宅待機命令を受けつつ、普通自動二輪の合宿免許に申し込んだ。
(続く)


スイングアームに関する考察

ある日、YouTubeでSRのスイングアームの整備動画を見ていた。 整備したスイングアームを車体に取り付け、スイングアームを上下に動かしている。 この時、私のSRとは明らかに動きのスムーズさが違ったのである。 なぜだろう。グリスが悪いためにそのグリスが抵抗になってしまっているのだ...